12月10日 (金)  金の玉子達よ、再び

 私たち以上の年代の方であれば、「金の玉子」という意味は理解していただけると思います。地方の若者(主に中学卒業者を対象) 先日のブログで終戦後からの日本の成長過程を少し書きましたが、もう少し詳しく書いて、金の玉子達との関係を見てみましょう。
 1945年(昭和20年8月15日)の終戦より、混乱期から復興期を迎えます。1950年(昭和25年〜28年)からの朝鮮戦争による特需景気がありました。さらに、「戦後は終わった」と言わせた神武景気が、1955年(昭和30年)から降って沸いたように短期間で終わるものの、国内景気に刺激を与えたように思います。そして経済的には、しばらくの底を経験するが、岩戸景気をつくり出す国内産業。この頃(1958年.昭和33年から36、7年)は、日本の主産業として、繊維・鉄鋼・自動車等の産業が活気を得て、「金の玉子」といわれる労働力を欲していた時期でした。全国的に、北海道・東北より、そして九州や地方の各県から、東京・大阪へと若年者層の大移動[集団就職]が行われました。
 私自身は、1955年(昭和30年)生まれですので、集団就職された方達は先輩に当ります。もちろん、それに近い環境にあった訳で、同級生の中には、集団ではないものの、中学卒業で社会人になった人は多くいました。
 さて先日、友人であり、同じ師を持つYさんから緊急の連絡がありました。現在Yさんは、県内のT市でソーシャルワーカー(県嘱託)をしています。YさんはT市の5校を回り、学校生活に適応が難しかった生徒や親、そして教職員との中に入り、その打開策を見いだしています。卒業まで4ヶ月を切り、その後の進路についてYさんは、多忙な日々を送っている過程で私のことを思い出したらしいのです。3年前のことですが、私たちの仲間である福岡のN氏から、A君を紹介されました。A君は中学の時から不登校気味で、ほとんど学校に言っていなかった。その時に紹介を受けましたが、妙に私になついてメールをくれるようになりました。最初はたわいもない内容でしたが、だんだんとA君の心が見えるようになり、自分なりのアドバイスをしていました。そのが功をそうしたのか分かりませんが、N氏の指導のもとに中学校を卒業して高校に進学しました。今では宮大工を目指して修行中です。そのことや私たちの仲間の中でふぐ料理店を展開し、上場までした企業があって、そこで住み込みで中学生が働けないだろうか、との問合せがYさんからありました。早速に、その会社に連絡し、状況を聞いたところ、高校卒であれば採用しているとのことでしたが、中学卒業での就職を人事担当者に聞いてもらいました。そうしたところ、検討してみましょう、との回答を得たのです。後はYさんにバトンタッチしてしますが、何とか採用まで結び付いてほしいと願っています。そして、平成の金の玉子たちが自分の居場所とやりがいを見いだしてほしいものです。さして、この件で奮闘しているYさんの存在は大きいと感じます。学校・教育委員会という、閉ざされた中にYさんが今年から入り、親身になり、且つパワフルに行動しているその姿を見て私自身も刺激を受けています。学校の教職員も職業安定所の方もそれなりにやっておられることでしょうが、YさんやN氏のようなパワーと臨機応変さが感じられません。そう感じるのは、私だけでしょうか。
 世間は厳しい。甘くはない。しかし、苦しみや苦労の後には、必ず道はひらける。
 だから、「苦楽」と言う字は、苦が先で楽が後なのです。
 ガンバレ、佐賀の若人たちよ!!