9月4日 (月)  石鹸一個、感謝の気持ちが甦る。

本日、新しい石鹸を下ろしました。事務所用の石鹸ですので、誰が新しいものを下ろしているかは定かではなかったのですが、今日はたまたま私が気付いたので新品を下ろしました。その時、甦ったのが幼かった時の記憶でした。昭和30年代の初めは石鹸と言えども、貴重品でした。なにしろ、洗濯も洗濯機ではなく、洗濯板を使い、洗濯石鹸の時代です。あの乳白色の大きい石鹸です。たしか幼少時の佐世保での事です。小学校に行っていたかどうかは定かではありませんが、ボタ山(炭坑近くにある石炭以外の物を積んである山? その中には石炭があります)で石炭拾いをして帰った時のことです。ボタ山に登ったら、とにかく真っ黒に近い位汚れます。もっとも、石炭拾いは半分で遊びに行っていたようなものでしたから。その汚れた服を嫌な顔ひとつせずに、洗濯板で洗っていた母の姿が甦ったのでした。今あらためて、「ありがとう」を言いたいと思いました。
 また、これを書いている時にも甦ってくる幼少の頃、佐世保・ボタ山とくれば、小学校の頃のライバルの顔と名前が思い出されました。40年以上も前の事ですから名前を出しますが、そのライバルは尾崎といいます。体育や運動会の時には、私と彼はまさに闘志むき出しで競っていました。でも、少し寂しい思い出もあります。それは身体検査の時、みんながパンツひとつにならなければいけません。その時、尾崎と数人が先生に対して「パンツ履いてきていないので・・・」と言っていました。なんかバツの悪そうな態度でいましたので、「尾崎、はよ来んか」と言うと、そくそくと後ろに並んでいた姿を思い出しました。あの当時の炭坑で働く人々は、重労働の上に決して待遇もよくない環境でした。
しかし、どうでしょうか。身の回りの物やインフラに関しては、日本においては半世紀の間に数十倍?はよくなったと思います。あまりにも、急激にそうなったために忘れているものが多くありませんか?・・・・と、皆さんにお尋ねしたいと思います。
 石鹸一個から、洗濯板・母への感謝・幼き頃のライバル、そして現代人の忘れもの・・・・続きは来週書かせていただきます。[皆さんの忘れものへの投稿は、hj@bauhaus-japan.co.jpまでお願いします]

写真: 上 残り少しになった石鹸と新品の石鹸です。(購入先は、もちろん「ヘルシーみやざき」です)
イラスト @幼少の時の洗濯セット「盥(たらい)・洗濯石鹸・洗濯板」盥は、行水やスイカを冷やす時などに使い、昔はどの家庭にもあったんですけどね。
Aボタ山とライバル尾崎(当時のイメージです)

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